名前:漆口ふたえの個人的な体験
HP :5
攻撃力:0
防御力:0
素早さ:5
剣技:
 ・召喚剣<0/3/0/5/高高/ブンリ>
 ・召喚剣<0/6/0/2/高高/ハンドウケイセイ>
 ・召喚剣<10/0/0/4/熱熱絶絶/トウソウガンボウ>
 ・召喚剣<5/0/0/4/熱絶衝衝熱/ドウイツシ>
 ・召喚剣<20/0/1/2/死盾護/タイコウ>
 ・召喚剣<5/0/0/2/魔魔魔魔魔魔魔/オキカエ>
 ・召喚剣<5/1/0/4/熱熱衝衝/ショウカ>
 ・召喚剣<5/5/0/2/衝衝/コウゲキ>
 ・召喚剣<5/1/0/4/熱熱衝絶/ヨクアツ>
 ・召喚剣<25/0/0/2/死回4斬/トウカイ>
 ・召喚剣<5/0/0/3/鏡鏡鏡鏡鏡鏡/ジコトウエイ>
 ・召喚剣<5/0/0/4/鏡鏡鏡鏡鏡/セッシュ>

設定:
14.
 薬をこっそり飲まなくなって、五日ほどが経った。
 昼ご飯を食べ終わった後の、午後二時。細く開けられた窓から入る風が、白いカーテンを揺らす。私は自分の病室のベッドに座って、文庫本を開いていた。
「…………」
 文字を目で追う。けれど、内容が頭に入ってこない。
「ああ……」
 私は小さく呻いた。
 数日前から、妙な、そして経験したことのないほど強い焦燥感が、心を支配していた。飲んで体が馴染み始めていた薬を急に止めた離脱症状だろうか。こうしていてはいけないような。何もかもが悪くなっていくような。そんな気がしてじっとしているのが辛いのだが、何をすればいいか分からない。日が暮れてからは若干気持ちは落ち着くのだが、この昼の時間は、どうにも駄目だった。
 どうしたらいいのだろう。どうしてこんな場所にいるのだろう。私はどうしてしまったのだろう。何にも集中できないのに、何かをしなければならないようで、心が破裂しそうだった。
「辛そうだね」
 ふいに、隣のベッドの患者が声をかけてきた。
「ええ……ちょっと。すいません、外から見えるくらい鬱々としちゃって」
「謝らないでいいよう。大変だよね」
「……どうも」
 小さく頭を下げる。こういうちょっとした優しさにも、どう振る舞えばいいかも私にはよく分からない。  窓から豊富に降り注ぐ日光が不安を増すように感じられて、布団を体に巻きつけた。いっそベッドの下にでも潜り込みたいほどだったが、ギリギリの理性でそれを抑える。
 そして、光を受け止める白い床に、フコーがいる。
「やっぱどうしようもないなお前」
 床に胡坐をかいたフコーが毒づく。
「何で普通の事ができないのかね。『どうも』? なんだそりゃ。ありがとうございますの一言と笑顔でも見せろよ。それぐらい分かってんだろ。分かってんのにやろうとしないんだから救えねーな」
(……そんな言い方、しなくたって)
 薬を止めてから、思った通りフコーは日ごとに活発になった。けれど、思った以上に活発になりすぎた。
「どんな言い方したって一緒だろ。どうせお前は改善するつもりなんかないんだ」
 以前のように、私に助言をしてくれるフコーでいたのは、一日程度だった。その日を過ぎると、ギラギラとした視線で、私をとにかく責めるようになった。
 四六時中、フコーの声が頭の中に響く。耳元で、部屋の隅で、目の前で、私をなじる。私の精一杯の反論も意味をなさない。
「ここでのうのうと何をしてるんだ? ここにいるだけで入院費がかかってるんだぞ」
(……知ってるよ)
「治療もまともに受けない。人に心を開こうともしない。学校を休んでる分の勉強もしない。ただどうでもいいような本を読んでるだけで。お前、何でここにいるんだ?」
(分かってるって!)
 布団に顔をうずめ、心の中で叫んだ。
 何で、こんなことになってしまったのだろうか。どこからずれてしまったのだろうか。何が狂ってしまったのだろうか。
 面会に来る両親の前では、できる限り普通に振る舞っているつもりでいた。しかしそれでも、どこかおかしいことが伝わってしまったのだろう。父にも母にも、大丈夫か、と何度も聞かれた。
 娯楽室にあるカラオケを使っているらしい、誰かの下手な歌が聞こえてくる。耳障りだった。
「他の患者が気遣って声をかけてくれても、お前からは近づいていこうとしない。だから、ああいう遊びにも誘われない。他の奴らに好印象を持ってもらいたがりながら、あいつらをみんな頭のおかしい奴らと蔑んで一線をひこうと思ってる」
(……主治医も、看護師さんも、他の患者さんと仲良くなり過ぎない方がいいって言ってたもの)
「それが見下す理由か、大したもんだな。母親が他の患者を差別的に見てるのにイラだった癖に、自分はどうなんだ」
(…………)
 フコーが私を責める勢いは、日に日に強くなっていた。言葉の一つ一つが、私の心をえぐる。
 私にはフコーが必要だと思って、薬を飲むのを止めた。フコーが私の一部なのだから、私がしっかりしていればフコーはおかしくならないと思っていた。けれど、もう。
「お前みたいに人生に適応できない奴は誰にとってもお荷物だ。死んじまえよ。楽になるだろ。そうしたいんだろ」
 その言葉に、私は決断を下さなければならないと思った。



 午後九時を過ぎ、病室の明かりが消された。暗くなった部屋で、私はベッドの上に体を起こしていた。昼間よりは気持ちが落ち着いている。薬は、今日も飲んでいなかった。
「ふたえちゃん、おやすみ」
 隣の患者が、ベッドの間を仕切るカーテンを閉めた。
「おやすみなさい」
 私も、できる限りの好意を込めて挨拶を返す。
「挨拶一つでいちいち気張りやがって、人慣れしてねえのが見え見えだな」
 床頭台の上に座ったフコーが、私に吐き捨てた。
(……そうだね。いちいち緊張してたら、気持ち悪がられるよね)
「しかもここをちょっと居心地いいとか思い始めてんだろ。みんな遠慮しあってるから学校みてーに他人との関係で疲れねえし。たまにいきなり叫び出す奴はいても、医者が処置するし。親は腫れ物に触るみてーに優しくしてくれるし。メシは出るし何をさせられるわけでもないし」
(うん。楽しい場所じゃないけど、辛くない場所だと思ってる)
 私は内心で頷く。
「あーあ。どうすんだお前。一生ここで過ごそうとでも思ってんのか? できるわけねーよなあ」
(…………)
「だからって普通の生活に戻る勇気もないしな」
(…………)
「やっぱ死ねよ。さっさとマトモになった振りしてここ出てさっくり死ねよ」
(……ねえ、フコー)
 私はフコーから目を逸らして、心で話しかける。
「今まで生きてたっていいことなかったろ。人生で一番気楽で幸せな時期が惨たらしかったお前にこの先何があると思ってんだ? もう諦めろよ」
 フコーは私の言葉を聞かずにまくしたてる。心が痛くなることばかりを、消えてしまいたくなるようなことばかりを言われる。それでも構わない。
(フコーはさ。きっと本当に、私のために現れたんだと思う。私の心の、ずっと重さがかかってて、押し潰されて壊れそうになってた部分から出てきたんだと思う)
「お前さあ、実はちょっと、ここに入れられたことを嬉しく思ってんだろ? 自分が、他の大勢の、今までお前を馬鹿にしてきた平凡な奴らとは違うって証明された気になって」
(九島さんと喧嘩しちゃった時が、私はギリギリだったんだろうね。ギリギリ、アウトだった。だからフコーが生まれた。フコーが、私を助けるために出てきたってのは、正しかったんだ。数日だったけど、フコーは足りないところだらけの私を補ってくれた)
「逆だからな? お前の頭のデキが、ああだこうだとレッテルはられて分類されるような精神病に合致してるんだよ。お前は類型的なんだ。特別でも何でもない」
(でも、姫宮たちに責められた時に、フコーを生み出してた心の場所が、壊れてしまったのかな。だから、フコーも……いや、私が、おかしくなってしまった。私の一番おかしくなった所を、フコーが担当してくれただけで)
「感受性が鋭いとも勘違いしてるな。単にみんなと一緒が嫌なだけだろ。だから元々の感覚を捻じ曲げてでも、人が好まない方向を好きだと思いこもうとして。協調性がないだけだ」
(フコーは、私を助けてくれた。助けてくれ続けた)
「親のことも、尊敬しているとか言いながら、本当はネチネチ恨んでるだろ。小学校の頃学校でからかわれてたお前に何もしなかったとか。部活を辞めた理由を詳しく聞こうとしなかったとか。お前から助けを求めなかったのに、助けてもらえなかったことを本当は恨んでやがる。それを自覚したくないから、尊敬してるが付き合い方が分からない、なんて振りをして。まったくろくでもねえ」
(でも、私は、フコーのことも、間違って受け止めてた)
「こっちを見ろ。こっちを見ろ!」
 フコーが叫んだ。私は、ゆっくりとフコーを見た。
「死ねよ。クズ。今すぐだ!」
 フコーは私の目の前、数cmの距離にいた。右目の眼帯を外して、宙に浮かんでいる。ギラギラとした、魔物のような赤い瞳で私の目をのぞきこんでいた。私の視界はフコーの緑の肌と赤い瞳だけで覆い尽くされる。
 怖かった。とても怖かった。フコーと呼んでいたこの存在が、私を食らい尽くすのではないかと恐怖を感じた。
 フコーとのことを思い返す。九島さんを怒らせてしまって困っていた私の前に現れ、グズグズと迷う私を押しだしてくれたこと。テストで往生している時に、私の忘れきった勉強の記憶を掘り起こして教えてくれたこと。姫宮の視線に脅えていた時に、私の足を動かしてくれたこと。女の人が倒れている時に、応急処置をどうしたらいいのか教えてくれて命を救ったこと。私が九島さんを好きなのだと指摘したこと。
 ここまでは楽しかった。フコーは私のために神様が使わしたのかも、なんてことまで考えた。けれどその後のことも、忘れたふりはできない。
 九島さんが車に飛び込んだと聞いて動揺する私に、死んで責任を取れと言ったこと。四六時中、私を責め立てたこと。服薬を続けていたら、次第に姿が見えなくなっていったこと。私はそれが嫌で、薬を断ったこと。そして、今、ギラギラと光る目で私を飲みこもうとしていること。
 フコーに責められるのは辛かった。けれど、憎むことはできなかった。
 フコーは私だ。誰が何と言おうと、私の一部だ。漆口ふたえを構成する大事な部分だ。たとえ、それが他人から見れば病の症状だとしても。類型化されてレッテルを貼られカルテに書きこまれる、有り触れた反応だとしても。フコーは確かに存在する。
 また薬を飲み始めれば、一週間も経てばフコーの姿は薄らぐだろう。私は責められることはなくなる。医師は私の治療が前進していると認める。両親もそんな私を見て安心する。みんなが喜ぶ世界になる。
 でも。でも、しかし、けれども。その世界は、欠落している。フコーだった私の部分が、いないことにされている。
 私が一週間後に死ぬとしたら、きっと身近な人には悲劇だと受け取ってもらえるだろう。けれど、一週間後にフコーが消えるのは、誰にも悲しんでもらえない。それはきっと、私にすら。薬で精神を強制的に安定させられた未来の私は、うじうじと悩まなくなっているだろう。フコーという、一時の支えであっても、やがて攻撃してくるようになった存在が消えて、せいせいしているだろう。誰にも悲しまれず、むしろ喜ばれる消失。そんな悲しいことが、他にこの世にあるだろうか? 死んだことにすらされない消失は、最も完全で残酷な死だ。そんなものが許されるのか? 私はそれを許すのか?
 フコーとなら、生きていけると思った。駄目なところばかりの私でも、人並みになれると思った。それができなくなるというなら、私は、もう。
 フコーの赤い瞳が、私の網膜を突き抜けて脳まで達する。意識が赤に浸食される。フコーのことしか考えられなくなる。
「死ね。シーツをねじって首を絞めろ」
 シーツを手に取る。ひも状に伸ばす。
「いいぞ。そうだ。そのまま絞めろ」
 それから、首に回すようにして。
「さよなら、フコー」
 そして私は、


 いくつか、思い出すことがあった。
 小さい頃、私の誕生日。私の家では、誕生日の人に何が欲しいか直接聞いたりせず、贈る人が考えてプレゼントを送りあっていた。当日まで何がもらえるか分からないサプライズプレゼントだ。ケーキを前に、両親から渡される箱。しかしサプライズであるが故に、全く好みではない物が贈られ、がっかりすることもあった。
 小学校の頃、プールの授業があった。私は背泳ぎができなかった。水の中で仰向けになることが怖くて仕方なかった。簡単そうに背泳ぎをする他の子供たちと私では、何が違うんだろうと思っていた。
 また別の子供の頃、時々喧嘩をした。けれど何となく、次の日には仲直りしていた。いつからだろうか、喧嘩をしても簡単には仲直りできなくなったのは。互いの歯車がずれ始めたら、もう私には修復できる気がしなかった。人間関係だけでなく、あらゆる失敗が致命傷である気がして、失敗をひどく恐れるようになった。


 私はシーツをよじって作った紐を首に巻き付けて。
 目の前で、赤い瞳を光らせているフコーに呟く。
「さよなら……フコー」
 そして私は。
 首に巻きつけたシーツから、手を離す。
「……しないよ」
「あぁ?」
 フコーが恫喝するように呻く。私は怯えを抑えて、もう一度心で言う。
(自殺は、しないんだ)
 死んでしまえば楽になると思う。死ぬことを決めてしまうだけでも、楽になる。あの月曜日、フコーに言われて死ぬことを決めてからしばらくの間、悩みなんて何もなかった。苦しいはずのこともどうでもよかった。死のうと思っている最中は、心のヒューズが焼き切れたように、ひどく安らかな気持ちだった。
 けれど、今の私は、色んなことを辛いと思ってる。自分の弱さが辛い。フコーの弾劾が辛い。親とのすれ違いが辛い。九島さんのことを思うのも辛い。医師に嘘をつくのも辛い。学校に戻るのも辛い。
 でも、辛いことを辛いと感じるのは、そこから逃げないでいるからだ。逃げたいとは思う。けれど、まだ逃げようとしていない。苦しいと思うのはそのためだ。逃げずに立ち止まっているから苦しいんだ。私は、死に逃げようとはしていない。どうしてなのかは、分からないけれど。
(フコーは、間違ってる)
 フコーは絶対的に正しくなんかない。完璧な導き手だなんていうのは、私の押し付けた認識だ。誤解だ。フコーは、私の忘れていることを引き出すことはできるかもしれない。でも、私の知らないことまでは知らない。フコーは神でもなんでもない。それに、私についてですら、今のフコーは完璧には理解していない、或いは無視していることがある。私が、生きたがっているということについて。
(フコー。私は幸せになりたい)
「だったら死ね。絞めるのを続けろ。それしかない」
 フコーは軋むような声で言う。
(違うよ、フコー)
 私は首を振る。
(死んだら、それ以上不幸じゃなくなるってだけ)
「お前が生きても惨めな目に遭い続けるだけだ。死んだ方が不幸にならない」
(そうかな。そうかもしれない。でも、フコーは予言者じゃない。その言葉は絶対じゃない)
 私はフコーの言葉を否定する。
 生きていく中には辛いことが沢山ある。不安と恐怖ではち切れそうだ。
 けれど、思い出すことがあった。
 私の前には、まだ何かの入ったプレゼントの箱が並んでいる。ろくでもない物ばかりに思えるけれど、本当に何が入っているかは、開けてみないと分からない。幼い頃は、中に何が入っているか分からなくても、そのドキドキが喜びにつながっていたはずだ。
 できない背泳ぎに、私は何か大事な物が欠けているようだと思っていた。でも、ある年の授業で、何故かふと、背泳ぎができるようになっていた。練習もしていないのに、自然と。できないはずのこと、絶対に無理だと思ってることが、できるようになることもある。
 昔のことだから、いい記憶ばかり蘇ってくるのだろうか。今と昔では状況が違うのだろうか。
 いや、違う。この回想は、今にも繋がる。喧嘩をしたら、取り返しのつかない断絶が生まれると思うようになっていた。失敗は取り返しがつかないと思っていた。でも、九島さんとはまた友達に戻れた。首に包丁を突きたてようとしても、まだここにこうして生き残っている。戻ろうと思えば、今までの生活に戻れる。これほどの失敗でも、取り返しが、つく。
「錯覚だ。都合のいい妄想だ。思い出せ。お前が今までどんな嫌な目にあったか思い出せ。目を背けるな」
 フコーが食い下がる。私に思い出させようとする。音楽の時間にクラス中が私を笑ったことを。漆口ウィルスなんて呼ばれて、クラスメイトがキャーキャー言って私から逃げたことを。姫宮が他の部員を連れて私にしたことを。
 消えない嫌な思い出。ふとしたことで蘇り、胸の中に真空が発生したように痛む。
 でも。
(それを抱えていても、まだ立っていられる)
 生きることが辛いと思うなら。辛いと思える場所にでも立ち続けていられるなら。希望なんてないように思えても、自分の心が焼き切れずにいられるなら。心の一部が壊れても、そこを犠牲に息をしていられるなら。私が私でなくなっても、私が続いていくなら。
(ごめん、フコー)
 私だって、幸せになりたい。生きて、幸せになりたい。本当は、生きていたい。生きたいんだ。理由もなく、そう思う。
 この思いはもしかしたら、これからの悩みと不安から隔離され保護されたこの閉鎖病棟だから持てるものなのかもしれない。私より重い病状の人たちを見下して、私はまだマシだなんて醜い考えから生まれた物かもしれない。でも、未来からも過去からも切断された今の私がそう思っていることを、否定しなくたっていいはずだ。
 幸せになる為に、フコーに一緒にいてほしかった。フコーは絶対に必要だと思っていた。でも、フコーが私を生かさないって言うなら。
「……本当に、ごめん、フコー」
 フコーを殺して、私一人で、幸せを目指すよ。
 私は、枕元のティッシュの上に吐き出しておいた薬をつまんで、飲み込んだ。


オーナー:takatei

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(samantha)(suika)(utsm4)(clown)